特集:輝く!新潟企業家[2019年8月号]

㈱ R-CRAFT 代表取締役 塚原 裕康(燕支部)

楽しくて好きなことに出会えた今、大勢の人に 感謝しながら、初心を忘れず取り組んでいく。

塚原 裕康(燕支部)
㈱ R-CRAFT 代表取締役

生い立ち

 四人兄弟の三番目の次男として育ちました。 兄弟や友人と比べ特に取り得もなく勉強や運動も大してできず周りからは心配される存在だった様です。 かなりボケっとしていましたので、周りから心配されてもあまり気になりませんでしたが何となく劣等感のようなものは感じていました。 そんな中、創業者である祖父から「裕康は晩生だから心配いらん。」という言葉と 母からの「裕康は優しく育ってくれただけでいい。」という言葉をもらい 自分は心配いらないし優しくする事なら出来そうと思い、気持ちがとても楽になったことと自分の中に誇りの様な物を初めて感じた事を覚えています。 その時漠然とですが「よい人間にならなくては」という想いがわいてきました。

 高校を卒業し特にやりたい事も無く次男ですから家業を継ぐ気も無く、とりあえず地元の会社に就職。そこでは大変可愛がってもらいましたが退職、それからはアルバイトを転々 とするフリーターのような事を経て人手が足りないからという事でアルバイト先の一つとして腰掛気分で家業の自社に入社しました。

 腰掛気分で入社しているので仕事に対する熱も無く子供の時から顔の知っているおじさん(職人さん)達との仕事はつまらなく理不尽でした。 「自分がいなくても誰も困らない、自分でなくてもよい、自分って存在意義あるの?」 そのような事を思って仕事をしていました。 そんな時に近所の会社の専務さんから「同友会っていういい会があるから入りなせや」と誘われ入会させていただきました。当時23歳くらいだったと思います。 学歴も職歴も能力も無い私でしたが同友会の先輩方は私を対等に扱ってくれました。

 節目節目に経営指針がありました。 同友会に入会して本当に色んなことを教えていただきました。 私の場合は社会常識というものがありませんでしたので、まず口の利き方からビジネスマナーについてなど当時の皆様には大変お世話になりました。

最初の経営指針

 入会してすぐ経営者でもないのに経営指針作成部会で経営指針を受講し当時の私の世界観が一変しました。その時から他社との比較で見る自社、世間一般常識からみる自社を意識することが出来るようになりました。 経営指針を受講し自社についてみえるようになり自社が単に職人さんの集まりで会社の体を成していない事に気が付きました。

ジレンマとの闘い

 当時の会社は朝の挨拶も無く、仕事をしてやっている感覚、社員同士の共通認識がなく お客様の対応は職人によってまちまち、お客様よりクレームも多かったと思います。 作業に対するプライドは高く要望は聞いてくれる人はすくなかったです。 その立場にいない。自分に自信がもてず改革できず。プライベートでも失恋、自分の存在に疑問を感じていました。

阪神大震災

 そんな時に起こった阪神大震災 当時日本で起った事?信じられないくらいの状況。 連日の報道で沢山の子供が亡くなっているのを見て、いてもたってもいられなくなり何か出来ることをしたくて現地に向かいました。 当時はSNSも無く携帯電話も個人で持つ人が少ない中、新聞や人伝手の情報を頼りに 被災者宅の住宅にビニールシートをはるボランティアを始めました。口コミで本当に沢山の老人の家を周りました。その中で例外なく皆が自分の家族の心配をして気使い合っていました。老人の中に私のことを気使っていくださる方がいて、あなたも家にちゃんと連絡しなさい。って怒ってくれました。「存在の意義とか意味とかはあまり関係なくて今生きていることだけで確実に誰かの役に役に立っている、少なくとも両親は自分を心配してくれている。」当時本当にここで死んでもいいと思っていた自分の考えを正してもらいました。 今でもその時の経験は自分の考え方の核になっています。

3回目の経営指針

 ちゃんとした会社にしたいと一念発起し社長を引き継いだものの具体的に何をしてようかわからず迷走の時期。本当にいろんな勉強会に参加しました。今思えば勉強会に参加していることで勉強している錯覚がありました。 当時の問題点として ①仕事に収益性がない ②安定した仕事量がない ③社員のモチベーションが低い ④お客様からのクレームを生かせない ⑤社員との意思疎通がない と上げればかなりあります。ずっと頭の中にあった経営指針にすがる思いで受講しました。 「何のために仕事をしていますか?」「何のために生きていますか?」そんな禅問答のような問いに答えられず悶々とした期間を過ごしました。 そんな中でてきた想いが「よい人間になりたい。」「よい世の中をつくりたい。」でした。 自身が仕事を通じ成長しよい人間になって人に伝てゆく。その反復が良い世の中を創ってゆく。という自身の想いをはじめて言語化できた瞬間でした。

社長になってからの取り組み

 当時の会社は板金業で下請け100%の会社でした。 お客様の顔が見える仕事がしたい。自分の仕事でお客様が喜んでいることを社員に知ってもらいたい。という想いで下請け業からの脱却を目指し動きだしました。 私たち中小企業は沢山の自由がある。いつ、だれに、なにを、どんな風に、どれだけ、売ってもいい自由があるんだ。そんな考えを学んだのもその時でした。 元請になることでお客様と直接意思の疎通ができ自分たちの仕事の先にはお客様がいてくれることを意識することで社員の意識、レベルがどんどん上がってゆきました。 工法、工期、収益性の改善にもつながることでこれが自分には合っていると考えすすめてゆきました。

社員さんについて

 弊社には本当にいろんな人が勤めてくれています。 同友会で言う労使見解とちょっと違うかもしれませんが 社員さんは自分の子供、家族のようなものとしてお付き合いをしています。 最近では高齢者や子育て世代の女性の雇用も進めております。正直最初は人助けのような気持ちではじめた事でしたが会社の方で時間や条件を合わせるだけで本当に優秀な方たちに来てもらっております。子育て世代の主婦層、高齢者のポテンシャルの高さには驚かせられます。 関わる全ての人と幸せになりたいと考えております。

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価値観の移り変わり

 今回機会をいただいて生い立ちから今までの事を時系列に考えることができました。 私の成長により価値観の移り変わりを感じました。 物事の判断基準での移り変わりです。 損か得かの時期 善か悪かの時期 苦か楽の時期を経て今は醜と美の価値観にいます。 「美しく生きる」が今の自身のテーマです。

遮熱工事について

201908feature3.jpg 今弊社で一番力を入れている事業が遮熱工事です。建物の暑さ、寒さを改善し、エネルギー削減率63%の省エネ商材を扱っております。従来にない確実に効果が上がる工事として 大変好評をいただいております。 下請け業からの脱却で一番の問題が他社との差別化でした。皆同じと言われればそれまでの仕事で早さと丁寧さと元気くらいしか差を見いだせないでいた時に遮熱工事と出会いました。自分たちの従来の技術で建物に性能を持たすことが出来るなんてすばらしい本当にご縁をいただき感謝しております。 凄い工事であるのに当初は全く売れず自分の特に親しい人たちが義理で使ってくれる程度でした。そんな中同友会の先輩に紹介された工事が決まりそれを皮切りに徐々にひろまってまいりました。今弊社は板金屋さんというより遮熱屋さんといったほうがしっくりくるかもしれません。 4年前に自分のSNSに遮熱工事のことを上げたものを見直しました。

「子供の頃漠然と思っていた事

善い人間になりたい。
自分の好きな事、楽しいと想える事を仕事にして行きたい。
そんなことを想っていました。

自分の好きなこと、楽しいと想えることって・・・

そんな想いもいつしか忘れてしまって成り行きで継いだ板金職人家業。好きとか楽しいとかそんなことを想う暇もなくただガムシャラだった。

仕事って楽しい? の問いにドキッとしてしまう自分がいました。

どちらかとゆうといつも大変でチョット辛い。って最近まで思っていたことに気が付きました。

なぜ気付けたか?
本当に楽しくて好きなことに出逢えたからです。
中略
夢の話をご一緒しませんか?」

㈱R─CRAFT これが私の遮熱工事に対する初心です。 本当に沢山の方々のご縁によって今が繋がっているということを感謝しながら楽しみながら初心を忘れず取り組んでゆきます。今後ともご指導ご鞭撻宜しくお願い致します。 ありがとうございます。

【㈱R─CRAFT 代表取締役 塚原 裕康(燕支部)記】

※2019年8月号紙面では、掲載スペースの関係上、塚原さんからいただいた原稿を広報情報化委員会で一部編集させていただきました。本ウェブページでは、ご本人の希望により塚原さんの原稿を原文のまま掲載しています。