企業進化論〈64〉藤島無線工業 株式会社[2019年12月号]

藤島無線工業 株式会社

人の繋がりを大切にする経営者でありたい。

藤島無線工業 株式会社
代表取締役社長 藤島 俊祐(ふじしま しゅんすけ)

住所:新潟県新潟市東区寺山3−4−4
TEL:025-275-7111
FAX:025-275-7117
事業内容:電子機器の販売施工および保守
創業:1958年
社員数:10名(うちパート2名)

始まりは、祖父の技術

 我が社は、1958年に私の祖父が船舶の無線機器修理工事業者として現在の新潟市中央区沼垂で、一人でスタートしたところが始まりです。

 根っからの職人気質だった祖父は、技術力・誠意共に社会から高い評価を受け、また高度経済成長の時代とも重なり、1973年には従業員8名の会社に成長させます。

 当時は、残業しても間に合わないほどの仕事に恵まれ、精力的に仕事をこなした、職人冥利に尽きる時代を過ごしていましたが、ある日、経理事務を任せていた妻(私の祖母)が倒れてしまいます。

 事務仕事が大の苦手、慣れない看病と家事に疲れ果てた祖父は、すっかり仕事への意欲を失ってしまいます。何をしたらいいのかわからなくなってしまったようでした。

 その頃、追い打ちをかけるようにオイルショック、造船不況が重なり、社内の雰囲気も次第に悪くなっていきました。

父の時代へ、バトンタッチ

 構造不況からの脱却をはかり、時代に合った舵取りをしようと1987年、2代目として父が代表取締役に就任。積極的に改革を始めます。経営者としての視点と職人としての視点を両方持っていた父は、ものすごい勢いで会社を大きくしていきます。

 まずは1991年に、新潟市東区寺山に社屋を移転。1994年に、携帯電話事業に参入。1999年には携帯電話部門を独立させ、支社に。2001年には売り上げも過去最高益をはじき出します。

 その後、取引先の鉄工所倒産、携帯電話部門の大口取引先倒産、と損失が続き「我が社も倒産・・・?」という言葉が一瞬、皆の頭をかすめましたが、それでも父は負けませんでした。

 倒産先の社員ごと受け入れて、携帯電話店舗を自社運営として支社統合させ、見事に蘇らせます。

戦う父と対照的に・・・

 そんな風に父が戦っている中、長男である私はといえば、立派に学校に行かない子どもに育っていました(笑)。いわゆる、不登校児というやつです。もちろん、両親は心配したのでしょう。高校を中退して、仕事にもつかないでいる私を、ある日自分の通う経営セミナーに誘ってくれました。

 女性講師でしたが、とてもユニークな考え方をされる人で、人見知りだった私にしてはめずらしく、自分から挨拶に行きました。その時に「俊祐くんも、お父さんの会社を手伝ってみたら?」という講師からの一言で、入社を決意。それから十数年交流のある、人生最大の恩師となりました。

業務の一コマ
駐車場管理機器、船舶無線、消防無線が主な3本柱の事業。

一生懸命仕事を覚えた日々

 何もわからないまま入社し、徐々に一人で仕事にいくようになりましたが、10代の若者をお客さんは認めてくれませんでした。それが悔しくて一生懸命仕事を覚え、徐々にお客さんや先輩社員さんに評価されるようになっていきました。

 そんな中、前出の携帯部門の大口取引先が倒産したことで経理担当者が2人退職、高校中退で簿記も未経験の自分が、全て経理を見ることに。休まず働き、社員さんの助けもあり、なんとか持ちこたえました。

 会社は前に進み続けます。2007年には携帯電話ショップが8店舗に拡大し、従業員数も35名、と大忙し。経営者としての覚悟が足りない長男だけでは頼りなくて心配、と父は弟も入社させます。父と弟、両方から尻を叩かれる私は、ただただ不満だけを募らせていました。

 しかしまたもや、会社に荒波が!スマートフォン時代の到来です。

時代は、変わる

 2013年、ついに携帯電話事業からの撤退を決意。店舗の社員にも辞めてもらうという苦渋の決断をしなければいけませんでした。この年は、売り上げも従業員数も半減するという、創業以来最大の辛酸を味わいました。

 ついに、隆盛を極めた父の時代も終わりを告げようとしていました。父の、というよりは、この時日本全体が様々な分野で変革を迫られていました。


現役で働いてくれるたくさんの機械
藤島無線工業の原点ともいえる、職人のための仕事部屋では、今でも現役で働いてくれる、機械がたくさんあります。ここで日夜、積み重ねてきたノウハウが会社を支えてきました。

出会いが変えたもの

 2016年、父が脳溢血で倒れ、動けなくなった姿を目の当たりにして、本当の意味での覚悟が決まりました。

 翌年には私が代表取締役になり、同友会にも入会。経営指針を学び始めます。

 ここでの出会い、そして「同期の仲間」「サポーターの方々」との学びの場が、自分が何のために経営しているのか? を気づかせてくれました。

 今年に入り、様々な経営者との交流の中で日々学び、例会での報告者やG長、様々な経験を社内で実践し、社内は活性化してきています。

 2020年には、父の代から25年越しの思い、社名変更を決意。今では無線を含めた様々な機器を扱う会社に成長し、今後の更なる展望も含めて、新たな船出を共にする社名は「エフテクニクス株式会社」。

 創業してくれた祖父、ここまで会社を育ててくれた父、共に歩む弟と全社員に感謝し、今いる社員これから入る社員全員が、定年まで楽しく働ける企業。そして我々の技術力で人と人とを繋ぐ企業、新潟と世界を繋ぐ企業を目指します。

 最後に、この場を与えてくださった皆様に深く感謝申し上げます。

【藤島無線工業 株式会社 代表取締役 藤島俊祐(新潟支部) 記】