企業進化論〈54〉㈱三津和[2018年12月号]

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「朗働」と「共育」。 女性が安心して仕事が出来る場をつくるために。

㈱三津和
代表取締役 磯部 由美子(いそべ ゆみこ)

住所:村上市坂町35
Tel. 0254-62-5775
Fax. 0254-62-5781
事業内容:自動車関係のサブ加工、検査
創業:1987年
社員:18名

子供を見ながら出来る仕事はないか?

 34年前私は、家庭の事情で、子供と2人で生きていかなければならなくなりました。小さな子供を抱え、生きていかなければならないということは、大変なことです。当時社会もまだ女性が1人で子供を育てながら外で働く環境は、今よりずっと厳しい時代でした。ましてやこれといった専門的な資格もない私にとっては、なお更の事でした。

 そこで、私は何とか子供を手元に置いたまま出来る仕事はないか?と考え最初に始めたのが、電気の内職の仕事でした。でも、どんなに頑張ってみても、内職の仕事で稼げるお金は、月3万~4万程度。これでは、親子2人食べて行く事は出来ません。それなら、自分で会社を作り外注先としてこの仕事を行えばいいのでは!と思いつきました。

 会社を立ち上げるという事の大変さも全くわからない私は、今思えば若気の勢いとはいえ、ずいぶん思い切ったことをやったものだと感心致します。ともあれ知人3名に声をかけ、自宅の一室を作業場にして4名で会社をスタートさせました。

金も無く、仕事も無く人脈も無い

 それは、まったくの0からのスタートでした。2年程して、徐々に仕事も増えてきて手狭になってきたので工場を建てる事を決意しました。しかし、その当時社会的にも女性が、製造工場をやるなどということは本当に珍しい事で、まして信用も実績も無い私に融資してくれる銀行などあるはずもなく毎日銀行回りの日々が続きました。そんな中で地元の信用金庫の営業マンが私の話に耳を傾け親身になって事業計画などの作成にあたってくださりました。そのお蔭で融資をして頂くことができ、1987年12月末にプレハブを新設し会社を設立しました。しかし当時お金も無かったため、工場の内装や細かな電気配線などを自分でやった事をおぼえています。

 工場設立と同時に従業員を6人に増やしました。全て女性で、ママ友や地元の人に声を掛けて集まってくれた人達です。現在は18名の方々に働いていただいておりますが、当社はスタッフを含めすべて女性だけの会社です。私の目標は、自分が子育てと仕事の両立で苦しんできたので、自分の会社は「女性が安心して働ける会社」子供を抱えた女性たちが子育てしながら安心して働いていけるそんな職場を作ることです。子育てママさん達は、本当に忙しいのです。母親、妻、主婦、嫁、様々な役割をこなしながら、その中で仕事をしていかなければならないのです。それゆえ、子供の急な病気、家の用事など、どうしても突発的に休まなければならないことも多く欠勤が続くことも多いのです。

 当時、大半の会社はベルトコンベアーを使った形の作業形態でした。でもこれでは、欠勤が出れば、他の人に迷惑が掛かり、仕事にも穴が空いてしまいます。そこで私は当時としては、珍しいワンデスクワン作業に変えたのです。それから、創業から私がもっとも気をつけていることは、従業員の中に【派閥】を作らせないことです。派閥ができれば、いざこざや対立がおきて、それによって会社の士気は落ち、当然仕事に大きな影響を与えることになるからです。わが社では、入社契約時にこのことを承諾していただくことを徹底するために明記しています。

長く続けることの大変さ

 私は色々な会社の外注先になろうと飛び込み営業をどんどんやっていきました。仕事範囲は製品を自分で届けられる範囲(運送業者に任せることまでは考えていませんでした)となるので、南は新津、北は山形まで営業し仕事を取ってきました。今はそれほどでもありませんが、昔この業界は夏場は忙しく、冬はかなり暇になり、夏と冬の仕事量の差がかなりある業界でした。また、業界全体が男社会で、女性が社長という会社は今もあまりないのではないでしょうか?それ故、女性の自分が認めてもらうには男性の倍働かなければ!という想いで頑張ってきました。受けた仕事は何としても納期に間に合わせる為に朝まで働くこともありました。そうやって少しずつ信頼を積み上げていったのです。

 そんな中、今から20年ほど前、日本の製造業は世界的な不況を受け安い労働力を求めて日本国内の工場から生産設備の移管とともに、製造工場も中国へと移していったのです。日本で、もう『ものづくりの時代は終わった』とまで言われた時を迎えていったのです。当社も次第に仕事が減っていき、会社の倉庫には、一握りの仕事さえ無くなってしまいました。これまで仕事を続けてきた中で、この時が一番辛く苦かった様な気がします。

 廃業、倒産、リストラ...。毎日のように、まわりでも、メディアでもその言葉を聞かない日が無いくらいでした。私は解雇だけはしたくなくて、この急場を乗り切る為、従業員の皆と話し合い、取引先や知り合いの会社に出向してもらうことにしました。

 知らない会社で慣れない仕事に取り組み働く毎日は、辛いことも多かったと思います。でも、彼女達は「社長が仕事を探してくれてまた自分の会社で働ける日まで私達頑張りますから」と言ってくれました。この時の言葉を、私は生涯忘れません。そしてその時の【ひとつ、ひとつの仕事の重みと大切さ】をあらためて痛感しました。

 それから私は必死で仕事を探し、1人ずつ従業員を会社に戻し、2ヶ月半かけて全員を出向先から戻す事が出来ました。そしてその日から、これから先どんなに苦しくとも、もう二度と従業員を出向には出さないと決めました。

これから

 私が仕事を始めてから32年が経ちました。地元の電機業界ではこれまでに私たちよりもずっと大きな会社が数多く倒産や廃業をしてきましたが、私たちは何とかここまで続けてこられました。

 私達の会社の仕事は、以前は色々な製造分野の仕事を行ってきましたが、今は製品検査がメインとなっています。この検査は人間の目と勘が必要とされる仕事で、AIが進んできている今の時代の隙間産業だと思っています。また、検査には品質管理が重要ですが、私は「品質管理=人質管理」だと思っています。人質管理にはその人の良いところと悪いところを見抜いた適材適所の配置とマニュアルの徹底が必要です。そのために一番重要なのは従業員とのコミュニケーションです。従業員一人ひとりに小さな目標を持たせ達成感を与え、自分の仕事に責任と誇りを持って取り組んでもらう事です。

 これからも従業員と共に『基本を第一に安定したもの作りに全力で取り組んでいきたい!』と思います。そして、従業員一人ひとりの力を100%出せるような環境を作っていくのが私のこれからの課題だと思っています。

201812evolution2.jpg 私は従業員は家族だと思っています。これから、共に苦労してきてくれた皆が少しでも安心して働ける、良い環境を作ってあげること。また毎日の仕事が「労働」ではなく「朗働」と思ってもらい、そこに仕事という生きがいを見つけてもらう為にこれからも、いろんなことに取り組んで行きます。そして私も従業員と共に成長(共育)して行きたいと思っています。

 今後女性が安心して働ける会社がドンドン増えてくることを願っています。

【㈱三津和 代表取締役 磯部 由美子(村上支部) 記】