企業進化論〈42〉㈲村上シルバーかんきち堂[2017年12月号]

㈲村上シルバーかんきち堂

「困ってる人の手助けをしたい」という 設立時の想いはこれからも変わらない。

㈲村上シルバーかんきち堂
代表取締役 富樫 貫(とがしかん)

住所:村上市山居町1-8-55
事業内容:通所介護サービス/居宅介護支援サービス/訪問介護ヘルパー派遣/介護福祉用品の販売・ レンタル/住宅改修・介護食/カロリー・たんぱく食の配食サービス
創業:1996年/社員数:37名

老舗の畳屋に生まれて

 私は昭和11年に3人兄弟の末っ子として生まれました。家は村上市の上町で昔ながらの畳屋を営んでいました。お弟子さんも抱え3人で行っていました。私の父の代で7代目くらいだったそうです。ただ、戦前は地元の仕事だけでは食っていけなかったので、父は東京によく出稼ぎに行っていたそうです。

 そのような苦労をしていたせいか、父は長男に後を継がせようとはせず、尋常高等小学校卒で、国鉄に入社させました。また、次男も進学し医者になりました。それで最後に残った私ですが、私が中学生になった頃には、父も大分年をとってきて、その姿を見ていた私は、父の手伝いをしたいという気持ちと、父から幼い頃に聞いていた東京での畳仕事への憧れから家業を継ぐ決心をしました。そのため、高校は村上高校の夜間部に進学し、日中は家業を手伝うことにしました。

富中産業の設立

 学校も卒業し本格的に家業の後を継いで25才の時には念願の東京への出稼ぎにも行ってきました。そして32才の時に、父から代を譲り受け、私が代表として家業を営むこととなりました。その年は、「羽越水害」で沢山の家が水害に遭ったことにより復興で畳の需要が多くありました。そして、東京進出を考え、事業拡大を決意。父の弟子で独立していた中田さんに共同代表として声を掛け、翌年私が33歳の時に村上市の山居町に「富中産業」を設立しました。この会社は大忙しの時で最大従業員20人を雇用しておりました。

 私たちは更なる事業拡大を目指して、当時豊富にあった稲藁に目を付け藁を使った畳床を首都圏向けに販売しようとしましたが、湿気を含んだ藁の畳床の評価はかなり低く、思うように売れなかったという失敗も経験しました。

 しかし、当時(昭和48年頃)の東京は、団地の建設ラッシュに湧いていて、当然畳の仕事があふれていたので、東京相手に商売する期間が続きました。

 その後、家の洋風化が進みだんだんと畳の需要が少なくなってきました。そのため私が担当となって壁紙クロスの内装工事やカーテンの販売等事業を広げていきました。しかし今思うと本気で新事業に取り組んではいなかったような気がします。現在はこれらの事業は息子が後を引き継いで行っています。

父の看病がキッカケで

 平成2年頃高齢の父の看病で手動式のベッドが必要になりました。当時は市で借りられると言うことで早速お願いしたのですが、なかなかベッドは届かず、届いたのは何と2週間後でした。結果、父は殆ど使うことがなく、3日後に亡くなってしまいました。その時は、「借りたいときに借りられないのでは何がサービスか!」と怒りを覚えたと同時に、私と同じように困っている人もいるのではないか?と考えていました。

 この時のことがずっと引っかかり、また、時代のニーズもあって、私は平成11年6月に、訪問介護と介護用品のレンタル・販売を事業とした『有限会社村上シルバーかんきち堂』を立ち上げました。当時は村上でも先駆けだったと思います。

 かんきち堂は時代のニーズに合致し、利用者が順調に増え、現在は従業員37名となりました。業務内容も更に、自宅からの送迎にて利用者ペースで家庭的な時間が過ごせるサービスのデイサービス業務、高齢者を専門に安否確認を目的としたお弁当の宅配サービスの配食センター業務を追加し、4つの柱で行っています。

同友会に入会して

 同友会にはダスキン鈴木さんの紹介で平成14年に入会しました。同友会は他業種で一生懸命会社を良くしようとがんばっている会員さんに出会うことが出来るのが何よりの魅力。この出会いで受ける刺激が、今でもやる気と情熱をかき立てる源となっているような気がします。

 また、例会は同じ経営者の方のリアルな経験で得た報告を聞き討論する場。この時、いかに素直に真っ直ぐに報告者や討論の仲間の声に耳を傾ける事が出来るか?そして自社にプラスになることを見つけたときにすぐに実行してものにできるか?年齢も立場も関係なくただ、「謙虚に学ぶ」事の大切さを学びました。この例会は、経営者の人格形成にとても役立つと思います。

 これまでの経験で今思うことは、経営者の仕事は「いかに従業員の働きやすい環境を作ってあげることが出来るか」ということと、「経営の中では節目となる事象や何かが必ずあるのだけれど、そこにいかに気づいて見つけて必要なときに大きな決断が出来るか」だと思います。

今後について

 私は現在81才。昨年畳製造事業の『富中産業』の代表取締役を降りました。現在の富中産業は共同経営者の中田さんは会長職を努め、彼の孫が代わりに代表として仕切っています。

 一方、かんきち堂はまだ、事業継承問題は解決していません。今いる従業員の中からこれはと思える人に手渡そうと思っているのですが、今ある借金も一緒に手渡すのでは申し訳ないという気持ちで、この借金を返済するまではまだまだ頑張らなくてはという気持ちです。

 私にはまだ夢があります。それは高齢者専用のサービス付き住宅の提供です。このサービスを利用するためには、現在月20万円くらいかかるのが相場です。今後、介護の支援を必要としている人たちはドンドン増えていくでしょう。核家族化が進んだことによる高齢者の独り暮らし問題は今後もますます多くなってきます。そのためにもなるべく安く入居できる高齢者向けのサービス付き住宅の提供をやりたいですね。「困っている人の手助けをしたい!」という想いでこの事業をやってきましたから。この想いはこれからも変わりません。

【㈲村上シルバーかんきち堂 富樫 貫(村上支部) 記】