企業進化論〈40〉株式会社 東新[2017年10月号]

株式会社 東新

社員が喜びと幸せと安心と誇りを持ち続けられるよう 思いと行動をセットにして活動していきます。

㈱東新
代表取締役社長 田中 聡美(たなかさとみ)

住所:燕市粟生津32
Tel. 0256-92-4533
事業内容:総合ビル管理業、警備業、個人住宅清掃全般、貯水槽清掃、看護助手
創業:1969年/社員数:78名

自分の立ち位置がやっと解ってきた社長就任3年目

 昨年の9月半ば、リサーチコアで「経営指針を創る会」を受講している最中に「社長!私の家が今燃えています!」と携帯に取り乱した声が入りました。彼女は、スマホ一台を持って脱出するのがやっとだったと言いました。「社長、自分が自分である事を証明できる物を何ひとつ持ち出せませんでした。車は無事でしたが、免許証もありません。」と、うつむきながらつぶやかれました。私は、彼女に対して何ができるのか、何をすべきなのかを必死に考えました。現在会社を継いで3年目をスタートし、やっと自分の立ち位置を理解してきました。ですが、誰の為に何をするか、その為には何が必要なのかを思えば思うほどに、私には知らない事が多すぎるということを痛感していました。

苦労した会社の草創期

 父は、昭和42年に田中家を継ぐため、それまで勤めていた㈱熊谷組を退職し、東京から新潟に帰る事になりました。ですが、家は田舎の小さな駄菓子屋で、とても家族が暮らしていける収入は見込めず、父は途方に暮れたそうです。そんな父を、前職の上司だった方が「これからの時代は、建物が今まで以上に建ち、新築の工事清掃が必要になる。その道のパイオニアを紹介するから、修行してみないか?」と、今の㈱東新が出来る祖へと導いてくれたそうです。

 父は、㈱熊谷組で働けた事を誇りにしています。石原裕次郎さん主演の「黒部の太陽」で使われた、黒部ダム建造の工事に携われたことが何よりもうれしいようで、今でも書類を大切にしています。この事から、会社と社員は労働と収入と売上だけの関係ではないことを学びました。当時、幼かった私でさえ、「熊谷組ってやさしい会社なんだな・・・」と思っておりました。

 それから父は、今の会社の前身である「新潟クリーナー」を三人の親類と立ち上げました。大きな農家の空き家を借り上げての三家族共同体で寝食を共にする毎日でした。今思えば、その会社としての経営、日々の風景は、当時6歳だった私の目から見ても、ストレスを多く感じるものでした。志や理念といったものが無く、またそれぞれの立場がはっきりしていなかった為か、全員の意見にまとまりがなく、行き詰るたびにそれぞれが声を荒げ、取っ組み合いの争いをすることもありました。それを目の当たりにしていた私は、働くことの大変さを何となく感じることはありましたが、働くことの喜びや希望といったものを感じる事ができませんでした。私を含め、三家族の6人の子どもが暮らしていました。子ども同士はとても仲が良かったのですが、大人が近くにいるとなんだか話しづらく、戸外へ逃げてなるべく会社(家)には帰ろうとはしませんでした。

 そんな会社も母の姉の夫に明け渡すことになり、現在の燕市栗生津にて「東新クリーナー」と名付け、新たな会社をスタートさせました。心機一転、父一人で会社を始めた日々、それは苦労の毎日でした。スタートしたものの、建物のクリーニング業という業種は、知名度が低く仕事がありませんでした。時には洗濯業と間違われ、洋服が持ち込まれたこともありました。今では、笑い話になっていますが、当時は、本当に仕事がなく、時折仕事が入ってきても金額が少なく、父一人の稼ぎでは資材はもちろん、家族の生活も成り立ちませんでした。風呂場からタオルが消え、子ども達の貯金箱すら空になりました。子ども心に父の「お父さんにお金を貸してくれないか、聡美・・・」という悲しい表情、目の前で元気よく豚さんの貯金箱を叩き割り「お父さん使って!」と数百円を差し出したことを今でも覚えています。

社長職を引き継いで二代目として今想うこと

 そんな日々からようやく抜け出したのは、昭和50年に入った頃で、社員0人から17人になりました。昭和53年には社屋を建て、平成6年にはバリアフリー型の事務棟を増築するまでになりました。

 今日に至るまでの日々を振り返ると思い出すのは、当社に入社し一緒に汗を流してくれた社員たちの姿です。古参社員は、資材や会社の歴史を大切にしない新人社員に対して、少々怒りながらも、今の会社を築き上げてくれた人々の努力を伝えてくれています。このことがとても嬉しく、またありがたく感じています。

 火災によって、全てを失った彼女も、現在なんとか平穏な暮らしを取り戻しつつあります。㈱東新の社員であることを証明する書類を発行し、それをスタートに様々な免許、証明書を再発行していきました。身の周りの物や生活費は、他の社員77名の募金や寄付で何とかしのぎました。いつ誰の身にふりそそぐかもしれない不幸、そんな中であっても前に進めるように、安心して務められる会社であり続けたい。そのためには、私自身が決してこの立場に傲る事ないよう、感性を弱らせる事ないように戒め、全社員一丸となり喜びと幸せと安心と誇りを持ち続ける為、思いと行動をセットにして活動していきます。同友会に入る前は、「絵に描いた餅」と笑われましたが、餅で絵を描けば良いのです。

 人は、悲しいかな老いや障害を受け入れざるを得ません。私の父もその一人です。先代や先輩方々の功績に報い、愛してご用命下さるお客様の信頼を保ち続ける為にも、二代目の責務は重いと感じています。少々肩に力が入りすぎた表現になってしまいましたが、我社の平均年齢は56歳を越えております。介護者を抱えた人、また本人自体が思うように動けなくなってきた人、身体障がいを持つ人も何名か在籍しております。すべての社員が、社会人としての人生を望むかぎり送ることが出来ると共に、経済面も安心出来るように支え合える会社を目指します。現在の㈱東新は、いままでの清掃業はもちろん、新規事業として太陽光発電パネルのメンテナンスを始め、軌道に乗ってきました。これからも、多くのニーズにアンテナを張って、社員と共に歩んで行きます。

【㈱東新 田中 聡美(燕支部)記】