同友にいがた vol.339[2015年12月号]

人とのご縁に恵まれて今の自分がある。 | 同友にいがた vol.339[2015年12月号]

人とのご縁に恵まれて今の自分がある。

高尾 茂典さん(新潟支部)
イワコンハウス新潟株式会社 代表取締役

950-0148 新潟市江南区東早通1-2-6
Tel.025-382-1000 Fax.025-382-1882
http://www.n-iwacon.co.jp

「人とのご縁に恵まれて今の自分がある」と語る、新潟市江南区にあるイワコンハウス新潟株式会社の高尾茂典社長にお話を伺いました。

イワコンハウスに入社して

イワコンハウス新潟株式会社大学3年生時代から内定もらっていた富山市にある株式会社イワコンに入社しました。22歳で入社してすぐにコンクリート製造工場や住宅の建築現場で現場監督見習いを1 年間経験し、23歳の時に社長室勤務を命じられて初代社長の秘書を経験しました。仕事は社長のかばん持ちで、新しい商品開発をするために大学や研究所で、コンクリートの研究をしている大学の先生にお会いして、商品化するための実験のお願いをする出張がほとんどでした。24 歳の時に営業部に配属され、本社営業部第二課の責任者として実践の営業を開始しました。当時、他の4つの部署(富山、魚津、高岡、本社一課)の課長は50代、私はまだ20代半ばでいろいろな軋轢や衝突も多くありましたが、初代岩島保社長、2代目吉田正久社長の厳しい指導を頂きながらも大変可愛がっていただきました。

新潟営業所の開設と独立

26歳の時、営業部第二課で新潟地区担当だったこともあり、新潟進出にむけて、新潟営業所開設準備室長に任命されました。その翌年、イワコンハウス新潟営業所を開設します。当初は2年間だけの予定が、3年、5年と伸びていき、最終的に14年間新潟営業所の所長を務めました。

14年間所長を務めながら「本社ではしていない新しいことを取り入れたい」という想いから独立を目指しました。当時の三代目赤間静市社長から「そこまで独立したいなら、会社の資本金を準備して、補償金を積みなさい。そうすれば、出資率を0にしよう」という好条件を提示してもらいました。なんとか資本金、補償金を準備することができ、平成3年4月1日にイワコンハウス新潟営業所から、社員、お客さん、事業、すべてを継承させてもらう形でイワコンハウス新潟株式会社に組織変更することができました。

まさか出資率が0になるとは思っていませんでしたが、赤間社長が「実績もある高尾さんが、彼が補償金を積むからには、現在と同じように材料も販売できるということ。これからは代理店として材料を買ってもらえばいい。」と役員、親会社を説得してくれたのです。周囲の人の協力があって現在のイワコンハウス新潟株式会社があります。赤間社長の判断も、14年間会社に貢献してきたことを評価していただいたのだとありがたく思っています。現在、独立から25年目、営業所開設から39年目を迎えました。

経営指針を創る会

創業当時から常に社員に言い続けてきた、お客様に対する姿勢やモノづくりにかける信念を全社で共有し、将来入社する社員にも継承してもらいたいとの想いから、平成19年に"経営指針を創る会"の門を叩きます。受講当初、何度も経営指針を創ってメンターに見せるものの、そこには毎回「コンクリート」の文字が。コンクリート住宅、コンクリートマンション、コンクリート社屋、頭の中は「コンクリート」ばかりでした。入社当時からずっとこだわりをもって関わってきた「コンクリート」にはそれだけ想い入れもあり、体に染みついていたのです。メンターからは「コンクリートにこだわらず、住まい、建築にどう関わっていくかを考えるべき」「もっとグローバルな視点を持ったほうがいい」などと指摘を受ける毎日でした。

最初のうちは、「うちの会社もわからないのに」という思いもどこかにありましたが、勉強会を重ねるうちに「土日を返上し、無償で自分の会社のことを考えてくれているんだ」という思いに変わり、メンターたちの言葉を素直に受け入れられるようになっていきました。そして、完成した経営指針には、コンクリートの文字がなくなっていました。

無添加住宅との出会い

その一年後、平成20年にコンクリート住宅が伸び悩んでいたこともあり「違う素材を扱わなければならないのかもしれない」という気持ちで東京ビックサイトで開催されていた「建築資材ショー」に参加しました。その会場で「科学物質を一切使わない無添加住宅」に出会いました。その商品コンセプトが、指針で創った経営理念にも合致することから「この無添加住宅は、うちの会社がこれか売っていくものだ!」と大きく共感しました。

漆喰(しっくい) を塗る職人さんと出会い、課長、次長、役員、最後に秋田社長にお会いし、役員6〜7人と何時間も話し込み、その日のうちに、新潟での代理店契約を結びました。

もし指針を受けていなかったら、「無添加住宅」を見ても目に止まらなかったかもしれません。指針を創ったことでこの流れが生まれたのだと思います。今でもメンターのみなさんにはとても感謝しています。

イワコンハウスモデル住宅の外観と内部

ご隠居長屋 和楽久との出会い

平成22年にサービス付き高齢者向け住宅「ご隠居長屋 和楽久」の説明会に参加し、和楽久開発者の株式会社シスケアの太田社長と出会います。説明会が終わるとすぐに「新潟で代理店をやらせてほしい」と伝えました。そして帰りの新幹線の中で、営業をかける先と営業担当をピックアップし、その翌日からすぐに営業活動を始めました。この即断、即決の行動の裏には、全国で3億円規模の補助金対象となる事業だったため、投資家の中に絶対に賛同してくれる人がいるはずという理由と、補助金対象の1棟を請け負うことで、この事業をベースとして自社の福祉サービスを展開していければという狙いがありました。この読み通り、さっそく共感し手を挙げてくださる投資家と出会い、無事に補助金の申請もとおり、説明会に参加して、わずか一週間ほどで、第一号となるサービス付き高齢者向け住宅「和楽久」事業をスタートしました。

その後、事業は大成功し、現在は「和楽久」のノウハウをもとに、高齢者専用賃貸住宅「守庵 良寛」を開発し、福祉施設を30数棟建設し、運営事業者様をご紹介しながら事業展開のお手伝いをさせていただいております。また、東区上木戸、北区木崎に2 棟開設し、自社運営を始めています。また、3棟目を村上市緑町に建設中です。

イワコンハウス新潟の願い

今日"住む" カタチと市場へのアプローチは、実に多様化しており、私たちが提供する住まいも、素材、技術、住み方の提案の幅も広がっています。そんな社会の変化の中で、私たちが大切にしていることは、お客様への感謝です。大切な住まい、土地、資産の活用を託してくださったお客様の気持ち「それを具体的な行動で表現していこう」と毎朝社員に語りかけています。イワコンハウス新潟株式会社は、新潟で生まれ、新潟に育てられた会社です。これからも住まいを通じて、たくさんの笑顔を創っていきたい。それが私たちイワコンハウス新潟の願いです。

<イワコンハウス新潟株式会社 高尾茂典(新潟支部)記>


▼取材班がみつけた会社の横顔

イワコンハウス新潟の皆さま今回お邪魔したイワコンハウス新潟の高尾社長は、普段同友会でお会いする高尾さんとは別人のようでした。入社当時から現在に至るまでのお話を伺い、普段のイメージからは想像できない行動力、決断力に驚きました。

下の記事だけを読むと順風満帆に進んできたように思われますが、成功の裏にはたくさんの人との出会いと即断・即決の行動力がありました。会社独立のため(家が一軒建つくらいの)補償金を数日で用意したエピソードが頭から離れません。その他にも多々お聞きしましたが、紙面都合で書ききれませんでした(笑)

また、経営理念の実践として、たくさんの社会貢献活動を行っています。東日本大震災被災地への救援物資や義援金の寄付、現地での復興支援活動、関屋浜や鳥屋野潟、会社周辺地域の清掃ボランティアなどの地域貢献活動と社会貢献活動の一つとして、小児がんチャリティイベントに協賛しています。5年前から自社ゴルフ会の冠に「小児がん支援チャリティ」を加え、「イワコンハウス親睦小児がん支援チャリティゴルフ会」として、参加者からの寄付金を「ハートリンクワーキングプロジェクト」に寄付しています。高尾社長の行動力と経営理念の実践が、来年40年を迎える「イワコンハウス新潟株式会社」成功の秘訣なのかもしれません。

<和楽亭 澤 澤口 卓(新潟支部)記>
<新潟県中小企業家同友会 事務局 鈴木健太 記>

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