同友にいがた vol.320[2014年5月号]

中小企業家達の絆が地域を守る!全国総会をそんな情報発信の場にしよう!

3.11 震災と2004年中越震災の教訓

・あの時に何を思ったか、知り合いの安否。

2011年3月11日午後14時過ぎ私は新潟駅南の「ときめいと」でセミナーを受けていました。あの時の揺れを今でも忘れる事はありません。新潟が震源?新潟が震源で無いとすれば...、どんな事になっているのか?携帯やスマートフォンがつながらない状況がしばらく続き、つながった時には三陸に大津波警報が!とにかく会社に向かいテレビで状況を見る事しか出来ない。仕事でお世話になっている会社、岩手同友会陸前高田の仲間、誰とも連絡がつかない、私たちは生で状況を見ているが現地の人は何が起こっているのかは分からないはず、早く逃げてほしい、高い所に逃げてほしい、何で立ち止まって見ているんだ、この現実を見ていていいのか、今思い出しても気持ちが重くなり、何も出来なかった事が悔しい限りです。

すぐにでも現地に入り手伝いたい、何かしてあげたい、食材なら会社にある、何が必要なのか、どうしたら行けるのか、翌日事務局の池田事務局長に電話でこの気持ちを伝えました。

・三条水害で思い行動、そして中越震災、私たちに出来る事は?

同友にいがた vol.320[2014年5月号]私の災害支援のボランティア活動は2004年7月の三条水害からです。三条水害で数名亡くなった方がいましたが、一人の方は私がこの仕事についてからお世話になった方の息子さんでした。そんな事もあり、何かできる事があるのではとの思いで友人とボランティアで参加しました。

また、水害から間もない10月に起こった中越震災では、自社でできる応援を考え、食材の供給や炊き出しなどを行ってきました。

そして3.19陸前高田へ

・同友会の仲間と共に、高校2年の息子を連れて

震災後の翌週土曜日早朝(深夜)、(2t車2台、1t車1台)満載の食料を積み同友会の仲間4人と私と息子で新潟を出発しました。事前に警察から災害支援車両の許可をもらい磐越自動車道から東北道を通り岩手県陸前高田へ。自衛隊車両と支援車両しか走っていない高速道路を走り続けました。高速道路や周りの家屋は目立った被害は少なく(一部屋根の崩れた住宅があるくらい)、凄く違和感のある気持ちでトラックを運転していました。朝を迎え朝日が青空を照らしていました。一週間前に起きた事が信じられない、どんな事があっても明日は来るし今日も来るんだなって、なんか日々の生活を見直させられる気持ちになっていました。

東北道一関ICを降りた辺りから被害の大きさを感じ始めました。一関の蔵ホテルに立ち寄り、岩手同友会のメンバーと合流し陸前高田市へと向かうと、ガソリンスタンドは給油を待つ車の行列が至る所で見られました。しかし、中越震災で見た光景とは違う、明らかに家屋倒壊が少なく道路の亀裂、隆起も少ないのです。そんな景色が突然変わりました。体全体が熱くなり目を疑う、全く違う高田が目の前に広がったのです。息子にはよく見ておけとしか言えず自分は只々唖然とするだけでした。高田の街が無くなっていたのです。

息子と何も話す事もなく高田自動車学校へ向かいました。以前立ち寄ったコンビニが無く、ここまで津波が来たことがわかりました。目的地だった高田自動車学校は高台にある為、自衛隊の基地となり以前のままでした。

到着するとそこには高田の仲間が待っていました。田村さん河野さん橋詰さん、嬉しかった生きていた。何故だろう涙は出てこない、良かったしか言えない、思えない。何故ならば高田の仲間が笑顔だったからかもしれません。息子が河野さんと話をしている、ここで免許取るとか言っている。河野さんは田村さんに「震災後予約一号が入った」と伝えていた。俺も変わっているけど、息子も変わっているなって。そんな息子は2012年の8月〜9月にかけて合宿で免許を取りました。

陸前高田とのつながり

・震災2年前から交流

新潟同友会青年部は、その年の修学旅行として、北海道同友会の会員で(株)植松電機専務植松さんのロケット試作打上げと講演会があるとの事で、陸前高田へ行く事になりました。私にとっては初の陸前高田でした。あまり同友会活動に参加していなかった当時は、陸前高田の気仙支部の存在も知らずに参加していたのです。講演会前日に高田へ入り、自動車学校の寮が私たちの宿になりました。夜は気仙支部の皆と居酒屋で酒を飲み、熱く話したことをはっきりと覚えています。年の差30歳位の人たちが、社員を思い地域を考えて仲間の会社の事まで踏み込んだ話をしている事に、衝撃を感じたのです。その頃から積極的に同友会活動に参加し始めたのかもしれません。

全国の同友会から新潟へ

被災地への物資供給がスムーズに出来ていない事が分かり、池田事務局長発信で新潟に支援物資を集める事となりました。毎日届く支援物資、同友会の仲間との仕分け出勤前に会員企業に行き各地からの荷物を降ろし、また別のトラックに積み込み被災地へと向かう。山形へ持っていき山形から岩手、宮城の被災地へ。同友会の絆の強さを痛感した時期でした。時にはバイクやパソコン、自転車、燃料、富山からはミニローリーでガソリンが届き、九州、沖縄からも・・・凄いな同友会、私たちは同友会の学びを通して出会い、その出会いを支え合いにつなげているという事を実感しました。

新潟同友会と全国同友会の繋がり

全国の支援物資がどんどん新潟に集まりました。幸いなことに新潟にはガソリンなどの燃料があり、また比較的に福島、宮城、岩手への交通手段がスムーズな事から、新潟を中心に動いたのではと思います。それ以上に熱っちぇ人がいっぺこといたんだと思います。

私が最も苦手なSNSとか言うコミュニティサイトでも全国と情報交換し仮設住宅に住んでいる方々を元気づけるイベントを企画したり、炊き出しを行ったり募金を募ったり、この震災を通じ私たちが得たものは凄く大きなものだと思います。その活動は今も継続しており、全国の仲間には被災地で仕事をしている人までいるのです。しかし、忘れられ始めているのも現実です。私たちはこれからもっと応援しなくてはいけないと思うのです。やっと被災地の会社が再建し始めているのです。私たちが震災直後に行った被災地支援(被災地の物を購入して被災地を応援しましょう)ってなんだったんだろうって、すべてではないけど違っていたのかもしれません。今です、これからなんだ!って皆で声を上げましょう。被災地の方々は言いにくいと思います。私たち新潟同友会から新たに発信しませんか!被災地は「やっとスタート地点」って事を。きっとあの時のパワーがあれば新潟発で全国を巻き込めると思うのです。

地域を守るのは我々中小企業家

陸前高田でも気仙沼でも感じたことは、地域の事を一番知っていて大切に思っているのは中小企業家なんだということです。私たちは地域に無くてはならない存在なのだと思うのです。社員を思い、社員の家族を思い、地域を考え、地域の方々の事も考える。そこで私たちは商売をしているのです。当然のように誰よりも地域の事を知っているのかもって思いませんか?そんな思いをもっと沢山の方々と共有したいです。今回の震災で多くの事を学びました。私たちはこの学びを忘れないし、同じ失敗は繰り返さないと思います。

同友にいがた vol.320[2014年5月号]100年に一度1000年に一度なんていう災害はいつ起こるかわかりません。もしかしたら今日かもしれないし明日かもしれない。だからこそ今を大切にしなくてはいけない、後悔したくないって思うのです。新潟同友会は今年7月に全国総会を開催します。こんな機会はめったにありません。皆で協力して新潟総会を成功させましょう!なんと新潟での全国総会の翌年は岩手で全国総会です。その岩手総会で地方開催の総会は行わないようです。これもなんかの縁なのかなって思うのです。こんな素晴らしい仲間が出来る同友会っていいなって思うんです。もっともっと仲間を増やしていきましょう。今回の震災でも思ったのですが、同友会の仲間が多いと凄い力が発揮されます。

日々の仕事では悩みも多いですが、同友会は、そんな悩みを解決するヒントやきっかけを沢山の先輩や後輩から学べる場だと思います。私自身も今までではありえない経験と知識をもらい、今を精一杯頑張れていると思っています。

そして全国総会

中同協全国総会 in 新潟まで残り3ヶ月を切りました。あっという間の準備期間ですが、私たちが関われる総会設営も自社の経営に生かしていきましょう!全国から来場される1300人の皆様に新潟の力を見せつけようではありませんか!そして、また新潟に行きたいと思ってもらえる「おもてなし」を提供しましょう!その為には、新潟同友会の会員増強で新潟の地に同友会の仲間を増やし、熱い新潟を自らが作り上げなくてはと感じています。

そして当日は、800名近い会員で全国の仲間を迎えたいと考えています。

開催まであと残りわずかですが、皆さんよろしくお願いします。

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