新発田城の歴史
(株)足立測量設計事務所 須藤 光雄 記
大河ドラマ天地人の頃に置き換え紹介すると、戦国時代上杉謙信が活躍した頃は新発田長敦が支配し謙信の家臣となっておりましたが、その後に御館の乱には上杉景勝側につき勝利に大きく貢献致しました。長敦は天正7年(1579年)に病死し、その後、弟の重家が継承しますが、御館の乱での論功行賞で恩賞が与えられなかったことに不満であった重家は、いつしか景勝に対する謀反の道へと進んでいくことになります。
上杉景勝の重家征伐は戦国大名の領土拡張戦ではなく、秀吉の天下統一戦の一環となったのです。当初秀吉は、重家の殺害までは考えていませんでしたが、秀吉の景勝との斡旋に従わず不服従であったため、重家の首をはねるよう命じたのです。
慶長3年(1598年)正月、豊臣秀吉の命により越後の領主上杉景勝が会津に移封されました。越前北庄の城主堀秀治及び与力大名村上頼勝、溝口秀勝らが越後に移されました。
移封の際に溝口秀勝(新発田藩主)には六万石が与えられています。領内にはこの他に上杉時代の遺城として五十公野、水原、新津、加茂、大面などがありましたが、その中から新発田を城地として町を形成。そして、新発田藩は秀勝入封依頼、明治4年廃藩置県がなされた12代溝口直正までの273年にわたる歴史に幕を閉じました。
どうぞ歴史ある城下町新発田を一度散策してみては如何でしょうか。
新潟東港でインドカレー店が乱立
(有)ホウセイフードサービス 浅野 政和 記
新潟東港周辺では、外国人の輸出車輌販売業が非常に多く、治安面では、殺人事件が多数発生し地域住民に不安を与えています。ここに来て、ロシアの関税引上げで輸出が困難になり廃業が相次いでいます。そんな理由もあり、東港周辺では、現在4軒のインドカレー店が開業し乱立状態になっています。エスニック料理ブームで各国料理を新潟の地でも食べられようになりましたが、インドカレー店がこの地域で根付くには、カレーの味だけでなく、店主の人間性向上がとても重要だと考えます。日本人の味に馴染む。日本人の考えに馴染むなどの心構えを持つ事によって継続できるのではないでしょうか。このような思考を持つ外国人が増え共存共栄することが、「新潟東港は悪いイメージ」というのを払拭してくれると思います。
もっと美人になれる温泉
老人デイサービスセンター諏訪苑 斉藤郁子 記
月岡温泉の開湯は大正五年に、石油の堀削中、突如温泉が涌出し、湯小屋が建てられたことが始まりのようです。その後、効能の高さに湯治客が多く訪れる様になり、県内有数の温泉地となったとのことです。
そんな月岡のお勧めとしては、「美人になれる」と言われる質の良いお湯ですが、その湯を気軽に楽しんで頂けるよう「湯(ゆ)足(た)美(び)」があります。こちらは足湯の施設で、観光情報館や演舞場が併設されており、四季折々の情報やイベントが提供されています。
また、「ぶらさんデート」もお勧めです。こちらは、湯足美や、恋人の聖地に認定されたカリオンパークを中心に、温泉街を散策して頂く企画で「宿カフェ」「月岡ライスボール」など、美味しいものもプラスされ、より月岡を楽しんで頂ける企画になっています。
以上、まだまだ説明不足だらけですが、是非現地で不足を補いつつ、楽しんで来て頂ければと思います。

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